蓼科山365日 10-23-19 霜降
今日は暦の上では「霜降の候」、この頃になると霜が降り秋は一段と深くなり「霜の季節」。
しかし今年はまだ霜は降りていない。今年も温暖現象か?富士山や日本アルプスの一部では、すでに冠雪があり、山々の頂は白い衣で覆われ始めているのだろう。
庭では「リンドウ」が冷たい雨の中で最後を飾ろうとしています。空に、心に突き刺さるような、青みがかった薄青紫、なぜか「トリカブト」と同じ色です。
霜枯れの前に彼女等は咲き誇っている。
一茶も「霜がれのそれも鼻かけ地蔵哉」と歌っている。
「東京の秋」(尾崎喜八)
黄金と青との秋
火の見櫓や坂道のむこうに
日にかがやいた山壁のなつかしい秋
この都会にも秩父の風が来て住む秋だ
限りなく人間らしいもの、父らしいもの
犯しがたく、また恩愛にみちたものが
今日、私を呼んでいる、鼓舞している
森の人
蓼科山365日 10-21-19 千曲川の歴史を振り返って
令和元年の台風19号で甚大な被害を日本列島にもたらせました。特に長野県を流れる千曲川です。「あばれ千曲」の異名があります。その歴史を振り返ってみました。
千曲川は長野県川上村、埼玉県、山梨県の3県の境にある甲武信ケ岳にその源を発し、新潟県に入り信濃川と名を変え日本海に注ぎ込む。全長367kmの日本最長河川です。
以前から疑問があったが「小海町」辺りから地名に小海、海尻、海ノ口、馬流、広瀬など「海や水」に関する名前が多い。また小諸辺りまで河川から切り立ったような絶壁が多く、その地層が新しい。
もし何万年も前から河川があるなら、河川の中の石は転がりながら丸く小さくなるはずである。地層も長年の雨風で削られ勾配がもっと緩やかであるはずである。
最近の研究によると、平安時代に小海町一帯で発生した山体崩落で千曲川がせき止められてできた天然のダムの規模が国内史上最大規模で黒部ダムの約2.9倍にあたり、その後決壊して、東北信一帯が大きな水害に見舞われたらしい。古文書に888年に信濃国で洪水があったとの記述がある。
このことから、当時辺り一面が海のように広かったところから、地名に「海」という字が使われたのではないか? また山が大量の水で削られたため地層が比較的新しいのではないか?と思う。
今でもところどころ小海線は絶壁の下を通っている。秋の頃の紅葉は素晴らしくきれいだ。近くに山城で史跡となっている「海尻城址」がある。
やはり太古から水に縁の或る地域なのでしょう!
森の人
山に住むイナゴ?バッタ?
標高1500mの高原に「イナゴ」と思しき「バッタ」がいる?
見たところ「殿様バッタ」とは色と大きさが随分違い小さいので、「イナゴ」かなと思う。
イナゴは子供の頃によく食べたので、捕まえて食べてみるとイナゴかバッタか判明するのだが!
漱石の「坊ちゃん」の一節に、生徒がいたずらにイナゴを主人公の蒲団の中に入れ、大いに憤慨させる場面がある。
「おれはバッタの一つを生徒に見せて、「バッタたこれだ。大きなずう体して、バッタを知らないた、何の事だ」といきまくと、一番左の方に居た顔の丸い奴が、「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣り込めた」とある。
西洋人は、バッタ、コオロギ、キリギリス、スズムシなど全部まとめて「虫」と言う概念しかない。
気の毒に思う、虫に対する愛着も無ければ詩情もない。無味乾燥である!
一茶
夕月や流れ残りのきりぎりす
森の人
蓼科山365日 10-20-19 追憶
すっきりした秋晴れが望まれませんが、今朝の気温は5度と冬は確実に近づいている。
この辺りの紅葉は一段と色が濃くなり、一部枯れ葉となり、吹き溜まりに集まっているようです。
ヨネ.ノグチの詩に「恋愛は枯れるであろうが、追憶は永遠に青い」という個所があります。
我々が昔を懐かしんだり、子供時代の友と語る時、それは時間がとまり、心も止まったままです。
その泉から、つきない春のよろこびを汲み上げることができるであろう。
北杜夫さんは、彼の小説「幽霊」の冒頭で追憶について次のように書いています;
人はなぜ追憶を語るのだろう。
どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。
だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、
そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、
くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。
そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。
わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持がするのだろうか。
森の人