蓼科山365日 10-20-19 追憶

すっきりした秋晴れが望まれませんが、今朝の気温は5度と冬は確実に近づいている。

この辺りの紅葉は一段と色が濃くなり、一部枯れ葉となり、吹き溜まりに集まっているようです。

ヨネ.ノグチの詩に「恋愛は枯れるであろうが、追憶は永遠に青い」という個所があります。

我々が昔を懐かしんだり、子供時代の友と語る時、それは時間がとまり、心も止まったままです。

その泉から、つきない春のよろこびを汲み上げることができるであろう。

北杜夫さんは、彼の小説「幽霊」の冒頭で追憶について次のように書いています;

人はなぜ追憶を語るのだろう。

どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。

だが、あのおぼろな昔に人の心にしのびこみ、
そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、
くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。

そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。

わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持がするのだろうか。

 

 

森の人