秋の田園風景ー稲刈り

秋の風景の風物詩である「稲刈り」という言葉はまだ健在か?

機械化され、「カマ」をもって「稲を刈る」ということもなく「コンバイン」であっという間に終わってしまう昨今です。

その後の乾燥に関しては、立科ではまだ「はざかけ」を
二段掛けでやっている農家があります。

地方によっては4~5段掛けの所も見たことがある。
コンバインでサイロでの機械乾燥よりは、手暇をかけた「はざかけ」の「天日干し米」の方が味が良い。

一時農薬を使っていた時比べ、最近は有機農法が多くなり「イナゴ」が増えてきたようです。

昔、我々が子供の頃は「カルシュウム」不足を補うため「イナゴ」の「から揚げ」や「佃煮」を食べさせられましたが、口の中が「もさもさ」して美味しいものではなかったような気がします。

今は「ビール」のつまみに早変わりで、昔を懐かしく思う。

また農薬の減少により立科でも「ツボ」がとれるようになった。田植えが済んでから「アイガモ」を放して、草取りをやってもらっているところもあります。「食の安全」にもつながっています。

 

芭蕉
 
 世の中は稲刈るころか草の庵

山頭火

 みんなではたらく刈り田ひろびろ

子規

 見下せば里は稲刈る日よりかな

 

 

森の人

蓼科山365日 10-19-19 黄葉から紅葉へ

一雨ごとに秋は深まり、気温も毎日一桁に下がり、冬が駆け足で近づいているようです。

「紅葉梅雨」ではなく「すすき梅雨」と言う言葉があるようです。

黄葉、紅葉が始まっていますが、昨年と比べまだ色にメリハリがないような気がする。

山野の草木が美しく黄葉、紅葉になるためには条件があり、晴天が続き、気温が低くなければならない。

気象条件次第とはその年によって左右され、一週間~10日くらいの誤差があります。


良寛は「裏を見せ表をみせてちるもみじ」と言っている。

自分自身が裏を見せ表を見せながら散って行く姿を、良寛は一枚のもみじの葉の姿に重ねあわせていたのだろう。

 


森の人

紅葉ー白駒の池

標高2127m国道299号(別名メルヘン街道)の茅野市側の蓼科高原から佐久穂町側の八千穂高原に抜ける峠にあります。

人気ランキングでは全国18位、長野県内では1位だそうですが、今年は全般に色が悪くどうか。

峠から「白駒の池」まで徒歩で20分くらい。途中は原生林でコケが生えていて後世まで大切に守りたい。

岩が多く「ダテカンバ」や「シラビソ」など大木も根が張れず岩を呑み込むように根が巻いている。

ダテカンバが黄色に染まり、ナナカマドが真紅に包まれ、「苔むした岩と神秘的な湖」は季節によってさまざまな景色を楽しませてくれる。

清里ー野辺山(小海線で日本一標高の高い駅)-松原湖麦草峠と逆コースでドライブが出来ますが、晩秋になると、峠あたりに雪があり注意が必要です。

11月下旬頃から春まで通行止め!

 

 

森の人

蓑虫の財布

最近、蓑虫(ミノムシ)を見かけるのがあまりない。
もう半世紀ほども前に、蓑虫で財布を作ってもらった。
あまり使っていないが、まだ大切にして持っています!

田舎育ちであったので、身の周りには沢山蓑虫があり簡単に集めることが出来た。財布を作ろうとすると沢山の蓑虫を集めなければならない。

物理学者「寺田寅彦」も蓑虫には関心があったらしくて、家の縁側で庭を眺めている時、眼に前に蓑虫がぶら下がっているのを眼にして、よくよく観察をしたようだ。

友人にハガキで早速その様子を次のように書いたようです。

「今僕の眼の前の紅葉の枝に蓑虫が一匹いる。僕は蟻や蜂や毛虫や大概の虫に就いて其の心持と言ったようなものを想像する事が出来ると思うが、此の蓑虫の心持だけはどうしても分からない」と。


清少納言枕草子に次のような事を書いてある。

「蓑虫の父親は鬼であった。親に似て恐ろしかろうと言って、親のわるい着物を引きかぶせてやり、秋風が吹く頃になったら来るよとだまして逃げて行ったのを、そうとは知らず、秋風を音に聞き知って、父よ父よと恋しがって鳴くのだ」。

このことは、自然界に対する日本人の知識が如何に長い間平和安泰であったかという事を物語っている、と寺田寅彦は書いている。

 


森の人

蓼科山365日 10-18-19 秋の風物詩.蓑虫

また週末は追い打ちの秋雨前線の影響で愚図ついた天気が続きそうです。

秋雨が続けば、気温はぐっと下がりだし室内も10度くらい。

このところ朝と晩はストーブが必要になってきました。


樹々の枝や葉から細い糸をたらし「ミノムシ」がぶら下がっている風景は秋の風物詩です。

清少納言はこれを「鬼の捨て子」といい、「風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、父よ父よとはかなげに鳴く、いみじうあわれなり」と書いている。

芭蕉もはかなげに鳴く虫とらえている。

 蓑虫の音を聞くきに来よ草の庵

 

 

森の人

蓼科山365日 10-17-19 紅葉雨

今年の秋の長雨と台風は、雨と共に色づいた葉を落ち葉にしてしまった。

いっそ「紅葉雨」(モミジ雨)とでも名付けたらどうか?
「モミジ雨」という言葉があるかどうかは知らない。

「一雨ごとに春めく」はよく聞くが、「秋めく、冬めく」は聞いたことがないが、確かに一雨ごとに寒さを感じて、「秋寒し」は実感です。

日本人は季節の移ろいに敏感なのか表現が多い。
「朝寒」「夜寒」「そぞろ寒」「漸寒」「うそ寒」「肌寒」......。

イギリスの小説家サマセットモームの短編「雨」は、東サモアパゴパゴが舞台ですが、南方の雨期特有の豪雨であると言われる。

「柔らかな英国式の雨とは似もやらぬ」無慈悲な、もの凄さのある雨である。その天からの洪水のような雨には、「自然の原始的な力が持つ悪意」のごときものが感じられる。

それ自身激怒しているとしか思えぬその雨は、「人を発狂させそうな執拗さ」で小やみもなく降りつづけるのである。

 


森の人

田園風物詩ー稲倉の棚田

信州上田にある日本の棚田百選の一つです。

昔は「千枚田」とか「段々畑」などと呼ばれていたが、
最近は「棚田」で統一されたのか?

東南アジアや山岳民族では山奥まで開墾しければならず、土地を無駄なく活用された結果、出来上がったのだろう。

雄大な原風景に抱かれながら「稲作の原点」にふれるから;

日本人ならば誰もが心打たれる圧倒的な絶景が、悠久より稲倉の棚田にある。そこには今も古墳が残されており、太古より続く人々の営みを標す。

ここは人々の非常な努力により急斜面の木々が払われ、石と土とで土手が築かれ、水が引かれ、永い年月をかけて稲穂が稔る豊かな棚田となった。」

農業の機械化と共に、非効率さゆえに時代から取り残された棚田は日本全国にあります。

「棚田オーナー」や「棚田サポート」の人々の協力によって「日本の原風景」が保たれている所も多い。

機械(コンバイン)で収穫し機械乾燥したコメよりは、古来より行われている「ハゼ掛け」で天日干しのコメの方が味が良い。

長野県の「日本の棚田100選より抜粋」

宇坪入の棚田、稲倉の棚田、姫小沢の棚田、滝の沢の棚田、よこね田んぼの棚田、重太郎の棚田、青鬼の棚田、慶師沖の棚田、根越沖の棚田、原田沖の棚田、姨捨の棚田、塩本の棚田、栃倉の棚田、大西の棚田、田沢沖の棚田、福島新田の棚田。長野県の全地域にまたがっています。

 

 

森の人